『閨xという文字があります。文字化けしているかも知れないので、画像もどうぞ。 =>
先日、ふと月門と手書きしていて違和感を感じたのです。これって一文字にまとめると、閧ノなるなァ。間と似ているけれど、どういう意味なのだろう? さっそく漢和辞典『字源』 ( 1923 ( 大正12 ) 年6月2日初版、1989 ( 平成元 ) 年10月20日308版、角川書店 ) で調べてみました。
( p.2080 ) は、「カン....ケン....あひだ....あひま....隙なり、門に
閧ェ間と同じならば、月門の間は月門の閧ニしても問題ないわけです。いや、月門の閧ニした方が正しいわけです。そこで本日から、つきかどに使う漢字を間ではなく閧ニすることにします。
しかし、問題があります。閧ヘコンピュータで処理できる標準の文字に含まれていないようなのです。今、僕のP.C.ではきちんと表示されていますが、goo検索エンジンなどにこの文字を入力すると化けます。もともと月門の間という名前は、Dreamcastでも書ける名前にしようという狙いでつけられた名前ですから、これでは変えるわけにはいきません。
そこで妥協案として、ASCIIテキスト文字で書くときは間を使い、手書きや画像で表現するときは閧ノすることにしました。俗に月門の間、正式には月門の閧ニいうわけです。これなら、バナーだけ画像を直せば、他のページ中の文字を直す必要もありません!!
ついでにワガママですが、閧ニいう字を、月門の中でだけは、「つきかど」とも読むこととします。 ( こういうのやってみたかった.... )
なお、このページは、次のどの呼び方でも構いません。「つきかど」「月門」「閨v「月門の間」「月門の閨vリンクなどの際には、どう表記しても構いません。ただ、閧ヘ検索エンジンで処理できないという問題があるので、正式文字だけれどASCIIテキスト文字としては使用を避けた方がよい、とします。
以上のような理由で、本日からバナー画像の文字を修正しました。さて、気づいてくれるでしょうか....
ついでに調べてみました。萌と萠は、萌が正字で、萠が俗字だそうです ( p.1652 ) 。
文字化けして、今日の文書を読めない方へ。化けている文字は、おそらく「門構えに月」という文字です ( 他の字は多分化けないでしょう ) 。上に画像を表示しておきましたので、すみませんが、置き換えて読んでください。
2001年12月23日14時33分 『月門の間』管理者 叢雲花風
ゲームセンターで試合放棄の現場に居合わせました。そのプレイヤーは見知らぬ人に対戦を挑みましたが、残念ながら実力差がありました。結果、三本連続で屈辱的な敗北となり、四本目もあっという間に体力を50%ほどに削られました。ここでそれまで「つまらない」とつぶやきながら戦っていたそのプレイヤーは試合を放棄し、席を立ちました。
戦闘放棄は対戦最大のマナー違反と思います。僕はそのプレイヤーを責めました。
「初心者相手に手加減しない相手が悪い」とそのプレイヤーは言います。しかし僕としてはいくつも言いたいことはあります。「他に空席がありながら乱入しておいて、また一年以上プレイしておいて、初心者はないだろう」と。
しかし何よりも、ゲームをやっておいてつまらないと言う態度、そして戦闘放棄という態度を僕は許せません。僕はどんなに弱くてもゲームを好きなら楽しむ道を探すべきだと思っています。嫌いならやめるべきだと思っています。そして戦闘放棄は相手に不快感を与えるゲームセンター最大のマナー違反だと思います。
残念ながらこれらの問に対するそのプレイヤーの答えは「戦闘放棄がマナー違反と誰が決めた? 」でした。確かに、ゲームセンターには戦闘放棄してはならないなど書いてはありません。「相手が強いからつまらない。つまらないからやめる」というのは相手を不快にしかねず、僕には認められない行為なのですが、残念ながらゲームセンターでそのプレイヤーにそれを押しつけることはできませんでした。
しかし僕はこの「月門の間」の管理者として、ここではそんな相手を不快にしかねない行為を禁止しています。単なる勝利よりも対戦を楽しむことを第一と考えています。
2000年10月24日01時25分 『月門の間』管理者 叢雲花風
『Virtual-ON the Battlefield in C.I.S.』は、一年を経て多くのO.M.G.ファンを迎えるページとなりました。そこで『翠巒の間』から独立し、『
『翠巒の間』の一部のままで居ることは、いくつかの欠点がありました。一つは「
独立後の名前は『月門の間』としました。もちろん、オペレーション・ムーン・ゲートを意識した名前です。オラトリオ・タングラムを排除するつもりはありませんが、O.M.G.ファンに、より多く集まってもらいたくて、この名前にしました。
2000年06月04日23時37分 『月門の間』管理者 叢雲花風
きっかけは、あさぷう氏による、『翠巒の間』の伝言板・『雑記帳』の書き込み0092でした。
1999/02/10 01:40、あさぷう氏とかふうによる対戦が始まりました。
1997年01月、P.C.版バーチャロンは、当時話題の中心となっていたMMX技術と共に発表されました。NECのPC-9821V166にバンドルされて、市場に登場したのです。
店頭デモンストレーションを見て失望した人も多いでしょう。僕もその一人でした。「PC版VOは絶望的」という書き込みをPC-VANの『アーケード & NEOGEO』に書き込んだ覚えがあります ( 1997/02/03のこと ) 。
しかし、それは無理もないことなのです。32MBしかメモリを搭載していないV166に、Virtual-ONは重過ぎたのです。しかし、勘違いしてはいけません。決して、P.C.版Virtual-ONは失敗作ではありませんでした。
P.C.版Virtual-ONは、メモリを非常に多く要求するソフトだったのです。P.C.版Virtual-ONは100MBのメモリ搭載機の上で初めてアーケード並の完成度となるソフトでした。しばらくして、MMX 166MHz、96MBという環境を手に入れた僕もその事に気づかされました。 ( 1997/06/16 同S.I.G.に「PC版VOに感動」を書き込む )
しかし、当時、MMX技術と100MBのメモリを揃えることは、かなりの財力を必要としました。結果、P.C.版Virtual-ONは大きな話題を呼ぶこともなく、時代の影に消えていったのです。
しかし、かの名CPU・Celeron-300Aが登場し、PentiumIIIが発表された現在、多くの家庭のP.C.はP.C.版Virtual-ONを動作させるに充分な性能を持つに至りました。
僕も新型機を入手した友人たちにP.C.版Virtual-ONを勧めました。S.S.版ではない、真のVirtual-ONの魅力を知って貰いたい。
Virtual-ONは、あまりにも斬新なゲームであるため、アーケード版をやれと言っても、初心者はどうしても身構えて仕舞います。しかし、家庭用ソフトとして練習できるなら、話は別でしょう。
突然だけど、もうすぐテレホーダイ時間が始まります。早く、アップロードしたいな……。というわけで、挨拶を書いている時間がなくなって仕舞いました。
要するに、みんなP.C.版Virtual-ONをできるようになったけど、結局、殆どの人はやる気になってくれなかった。なげいてたら、あさぷう氏が対戦しようって言ってくれた。でっ、対戦してみたら面白かった。けど、その時は携帯電話で連絡とりながらとか設定したりして、とても大変だった。だから、簡単に対戦できるようにしようってことになった。結果、この『Virtual-ON the Battlefield in C.I.S.』ができた。そういうことです。さァ、みんなでP.C.版Virtual-ONを広めよう!!
1999年02月10日22時55分 『Virtual-ON the Battlefield in C.I.S.』管理者 叢雲花風