影艶・アーシアン
不幸も幸福も、過ぎれば経験になり得るということ。そして幸福と不幸すら相対的ということ。
幸福すら不幸とみることもできるし、不幸すら幸福とみることもできるということ。
だから不幸な人に幸福を気づかせるのは難しいということかも知れない。
武蔵坊弁慶・源氏 ( 高河ゆん )
やることがいっぱいあるというのは、今の時代幸運なことなんでしょうね。
どうでもいいことをやって仕舞った後など....特にこの言葉が身にしみます。せめて真剣に遊んで置けばよかった。
パピ & ドラコルル・大長編ドラえもん のび太の
この映画を見たのは小学生の頃でしたが、思わずドラコルル長官の人生ってどんなものかと考えて仕舞いました。 いや、ギルモア将軍はどうやってドラコルル長官を使っていたのかと、ギルモア将軍って大変だなァ、と心配して仕舞いました。
しかも、このあとドラコルル長官は「よかろう、女の子を帰してやろう。」と約束を守って仕舞うんですね。僕は「長年貫いてきた約束不履行人生を、こんな簡単に諦めて仕舞うなんて! 」と愕然としました。
いや、話の本質は他にあるんですけれど....やっぱり昔は馬鹿でしたな。
葛城ミサト・新世紀エヴァンゲリオン
初号機にとりこまれ溶けたシンジの救出に失敗したとき、リツコに向かって叫んだ言葉です。
最新の科学技術を用いても、たった一人の人間を助けられないことがある。それは科学の性質上どうしようもないことで、聞かされるリツコや科学者と称する人たちにしてみればつらいものだったでしょう。
科学といえば「確実」という印象を抱き期待する人もいますが、実際は統計の結果であり確実ではないのです。さらに量子力学のもとでは、決して確実にはなりえないということが分かりました。
10000人中、9999人に効く薬も、自分だけには効かないかも知れない。科学は集団を見て考えるから、事象確率で表現するけれど、対象となる人にとって事象は起きるか起きないか、それだけです。決して、一人一人の視点に立って、たった一人のための視点で科学を活用することはできないのです。
21世紀は科学技術の中でも、生命工学、医療が発達すると期待されています。しかし、それでも一人一人の視点で技術開発することはできないのだと、明らかに見極めねばなりません。
マチュ・ピチュ・魔法使いになる方法(2)
未来を予知し警告することのできる魔法使いマチュ・ピチュの言葉です。
主人公ニータの未来に対して警告していましたが、結局ニータは契約をすべて聞かずにサインして仕舞い、後悔することになります。
でも「サインする前に契約書を読むなんて当たり前のこと」と思うけれど、現実には読みきれないほどの契約があふれてるんですよね? 最近は、P.C.用ソフトの使用許諾書なんかが典型的な例です。契約社会になって、訴訟が増えるほど契約書は厚くなる。
長くして読ませないことを前提にした契約は無効とする法律を作って欲しいです。
そうそう、フリー○○なんて、メールアドレスをくれるところがあるけれど、契約には注意しましょうね。とくに今は無料でも、いつ有料になるかわからないから危険。しかも、その時には解約できなかったりして.... ( 「やめるときは解約手続きは必要ありません。そのまま放置してください」というのは、無料のときはいいが、有料になっても解約できないってことだよね? ) 。
ある有名な魔法使い・魔法使いになる方法
『魔法使いになる方法』の二章「魔法の理論と歴史、および魔法使いの誓い」に引用されている言葉です。
この本の内容は、近い将来、遠くとも三十年以内に、身をもって体験させられることでしょう。
この本のなかで、魔法使いは、エントロピー増大を遅らせる努力をするものと定義されています。魔法使いは、現代文明の見落としているエントロピー増大の法則と戦うものたちです。
こんなエントロピー増大の法則と戦う人は、現代社会にも必要とされています。でも、経済活性化、科学発展を掲げる人々との対立で、そのような人々は苦しい立場にいます。
それでも、今は魔法使いが必要とされる時代です。化石燃料の枯渇、食糧難など様々なエントロピーの増大が体感される時代、僕は魔法使いになりたい。
土鬼の博士・風の谷のナウシカ
新種の兵器用腐海菌を開発した博士たちの会話です。
彼らにとって、それが大地を滅ぼすことにつながることなど、どうでもいいのでしょう。純粋に自分の考えが正しかったことを喜んでいるのがわかります。科学者の姿として、とてもうらやましいです。
というのも、意外と大掛かりな研究となると、成果が出ないと分かっても研究を続けなければならないことが多いからです。予算を貰った都合上、何も成果を出さないわけにはいかないのです。そんな研究・計画がどれだけ無駄に地球を汚したのでしょう。
でも、彼らは本当に楽しそうに研究しています。彼らは幸せに生きているように見えます。たとえ大地を汚すとしても、何か得るものがあるように思えます。
それに、そもそも大地を汚すという考えが、人間中心の考えなのかも知れません。彼らの作り出した兵器用腐海菌ですら、王蟲は仲間の森として扱いました。地球だって、かつては硫黄の海でした。今、汚染と呼んでいるものも、やはり自然なものなのかも知れません。だとするなら、彼らの研究生活は理想的なものと思います。
ユパ・ミラルダ・風の谷のナウシカ
これは僕の『お気に入りの台詞』ではありません。僕の最大の親友 ( このように書くと、他の友人たちに申し訳ないが、書く ) ジェームズの『お気に入りの台詞』です。
別に、互いに対立するために挙げたわけではありません。彼がこの言葉を挙げたのも、僕が上の言葉を挙げたのも、どちらにも理由があります。僕ら二人には譲らないだけの主張があります。そしてまた、論争する楽しみがあります。
自分の行動がどんな結果をもたらすのか、なにも考えない人とだけは、関わりあいたくない。或いは、そんな人を、僕は ( 消極的に ) 潰すでしょう。
暮里阿梨・So What?
一年間なにも身になったことがない。その悩みを隠すときの阿梨の言葉です。
隠すべきなのかなとも思いますが、僕の場合、話しても「何も身につならなかった」っていう恐怖は消えませんでした。友達は、安易な成長願望に憧れても仕方ないって言ってくれたけど……。
今は、このことを悩むとき、一人で泣くことにしてます。ふと唐突に、その事実に対して泣きたくなるんです。
ガイア・ギア
小説中の文ですが、一応台詞に含めます。失敗続きのウル・ウリアンがジョー・スレンのゾーリン・ソールを発見する場面の言葉です。
この言葉のあと、彼は最新鋭機ギッズ・ギースを駆りながらも、片腕丸腰の旧式機ゾーリン・ソールと互角以下の戦いをするはめに陥ります。それを取り囲むのは、失敗続きの自分に対する焦り、上官の一見過大評価に見せかけた処遇により晒さねばならない生き恥、などが見えます。
この状況、なんとなく想像がつきます。
なんとしても、自分のやりたいようにやってやる。そう焦ってウルは、再び失敗しました。結局、ガイア・ギアの中から、この状況に対する救いは僕には見つかりませんでした。まァ、別の人の別の作品から見つけられましたけど……これは、この状況に限ればガイア・ギアの限界と思います。
真田志郎・宇宙戦艦ヤマト
映画・完結編でディンギル艦隊に撃沈されたヤマトが、再び地球を旅立つときの台詞です。発進準備のための乗組員の言葉の中の一つに過ぎないんだけど、科学の傲慢さを嫌うという真田の台詞だけに印象的です。この台詞には真田らしさが感じられます。
技術は、目的を達するのに必要な分があれば、それでいい。そんな僕の考えにぴったりだと思いました。
なんでも、完璧100%ならいいとは限らないよね。目的に合わせて、バランスよくやろう。