ついにファイナルファンタジーも九作目となりました。
僕はプレイステーションをもっていないので、七作目以降はプレイしていません。ハードを持っていないのも理由ですが、ハードを買う気にさせないとも言えます。回を重ねるごとに、見かけの画像だけにこだわり、かえってプレイヤーに想像力を要求しなくなっていくのが嫌なのです。
そんな中、今回のファイナルファンタジーIXの新聞広告にはぞっとさせられました。
家族。
学校。
社会。
すべてが少しずつ
壊れていくこの国で
ただひとつ
壊れない世界がある。
スタートボタンを、どうぞ
FINAL FANTASY IX
明日発売
www.playonline.com
( 2000年7月6日 朝日新聞より引用 )
新聞見開きを全て使って、都心の風景写真の上に、小さくこれらのコピーが並んでいます。
僕も以前は、「現実とゲームを混同する」などという発想は短絡的だと思っていました。しかし、最近のファイナルファンタジーを見ていると、これらが「現実とゲームの境目を理解できない者」を育てているというのは、あながち間違いではないなと感じるようになってきました。日付こそ異なれど、同じ朝日新聞で、「ゲームを長くプレイする子供ほど、現実と空想が区別できていない絵を描く」という記事も紹介されていました。この調査についての説明は他に譲りますが、ゲームの作り手はそれらの調査を無視してよいはずがありません。
プレイヤーに想像力を求めないゲームが、この国を壊す者をつくる。そう言われたとき、関係者は何か感じ考えるべきではないでしょうか? この広告はその結果なのでしょうか?
この広告を打った者たちがいる。このゲームを作った者たちがいる。この広告を見た瞬間、恐怖を覚えました。