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万物観察日記 2002年・上

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2002年06月30日 ( 日 )

ひょんなことから50ccバイクを手に入れました。
自動車免許を取得してから月日がたっていたし、そもそも50ccバイクの教習は受けていないので、免許はあるものの乗り方が分からず困りました。とはいえ、教習所に通う気分になるわけもなく、10分ほどエンジンのかけ方、スタンドの立て方を教えてもらうと、後は自転車には乗れるのでそのまま車道に出てみました。
普段自動車で走っている場所でも、バイクになると随分感覚が違うものです。やはり免許は普通自動車と小型二輪車では分けるべきではないかと思いました。

さて、乗り心地の方の感想なのですが、思ったより遅いですね。
いや、30Km/hというのは意外と遅い。普段自転車で走っているときより遅く感じます。まァ、運転中はのんきな性格なので構わないのですが意外でした。
おまけにうるさいです。50ccでもエンジン音は想像以上に大きいのですね。思わず電気バイクでも欲しくなりました。
ペダルをこがなくてもいいのは楽です。晴れた日には風も感じられていいものですが、前の車の排気ガスがつらい。
結論として、僕としてはバイクは気分的にのんきに空いているところ行きたいときに使うもの....

これでヨコハマ買い出し紀行ツールが一通り揃いました。
1. デジタルカメラ 2. ベルトポーチ 3. 50ccバイク
休日には撮影に行きたいところ。


2002年06月23日 ( 日 )

我が家の風呂場には、24時間いつでも入れる湯船保温装置がついています。正式になんと呼ぶのか知りませんが、それを動かしておけば湯温を40℃程度一定に保っておいてくれるという便利な装置です。
それが昨日は本体掃除の都合で止まっていました。久々に湯船は空で、シャワーのみで風呂を済ませることになりました。

静かだ....

この保温装置、メーカーによって程度の差はありますが、常にお湯を循環させるポンプが動いているために、結構音がします。
勿論、騒音というようなものではないのですが、気になる人には結構耳障りなものです。僕も、保温装置をとりつけた直後はうるさいからと自分が入るときは電源を切っていたのですが、ポンプに負荷がかかるので無闇に電源を切ってはいけないことになり....諦めていました。
そうして諦めて一年以上。もう慣れきっていて騒音と意識していなかったものが、突然なくなると異様に静かなものです。

そういえば電車の中も実はうるさいのですね。
去年、僕はとうとう携帯音楽再生機を買いました。カセットテープ時代もCD、MD時代もそういうものに興味はなかったのですが、MP3プレイヤーを買いました。そして気づいたことです。
電車の中ではMP3プレイヤーは聞こえない....
なるほど音漏れするほど音量を上げる理由がわかりました。
さらに気にしてみると、路線別、車輌型番別に随分騒音は違うものです。多分、同じ車輌型番でもモハ・クモハ車輌とサハ・クハ車輌では後者の方が静かなのでしょう ( 確認してません ) 。

世の中、慣れると忘れて仕舞う騒音って多いですね。
そのうち携帯電話の着信音にもみんな慣れてくれるんでしょう。関西では慣れた人の割合が高いとか?

あァ、PCの音がうるさいなァ。


2002年06月02日 ( 日 )

ラグナロク・オンライン ( 以下ROと書く ) というゲームがあります。
インターネットを介した多人数同時行動可能なRPGで、ウルティマ・オンライン ( 以下UOと書く ) などの流れをくむ、オンライン・ロール・プレイング・ゲーム ( 以下ORPGと書く ) です。

かふうは一つ何かORPGをやりたいと思っていました。ところがORPGというと、やはりRPG ( TRPG ) の本場、米国製のものが多いのです。そして米国製のものは、なんか絵が恐い ( リアルとも言う。まァ、かふうの偏見 ) 。
日本製のORPGもないわけではないのですが、いまいち知名度が低く、あまり話題になっていません。それにかわいい絵柄のものも少ないです ( かふうはかわいい方が好きだ ) 。
そんな中で見つけたのがROでした。見てもらえば分かりますが、絵がかわいい。韓国のゲームだけれど、日本語にも対応している。そしてベータテスト中とはいえ結構知名度もある ( ゲーム以外のページで、このゲームのプレイヤーを見かけた ) 。

かふうはROをやりたくなりました ( 2002年04月08日のこと ) 。
とはいえ、一人でいきなりORPGを始めるのは恐いので、以前からORPGをやっている友人のKJS ( 仮名 ) を誘ってみることにしました。彼はUOを結構やっています。僕にもUOを薦めてきていたので、ここは一つ、ROを薦めて、こっちを二人でやろうと思いました。
誘った結果は失敗でした。彼は「かふうがUOの絵柄を恐がるように、こっちもROの絵柄は受け入れられない」と言ってきたのです。さすがに僕が同じ理由でUOを拒んできた以上、彼をROに無理に誘うわけにはいきません。二つも同時にORPGをやるのは無理というのももっともな理由です。

仕方なく一人で始めることにしました。
ここで更に深刻な問題が発覚します。ROは3Dビデオボード ( VRAM 8MB以上 ) がついていないと動かないのです。
かふうのPCのビデオボードはバーチャロンを動かせても、3D機能はありません ( バーチャロンはそもそも3D機能不用 ) 。なくなくここでROを諦めることになりました。くやしい....

そうしてROを諦めて二ヶ月がたった昨日の事。KJSから連絡がありました。
「ROって知ってる? 」

何があったのだ! なぜ彼はROを始めることにしたのだ!?
しかも彼は二ヶ月前の会話などすっかり忘れて僕を誘うのだ....その会話の数時間後、彼はソフトを手に入れて一人でROの世界へ旅立っていった。
悔しい! 悔しい! 僕もビデオボード買い換えて、やりたい!!

さて、前置きはこのくらいにしよう。本題に入る。
KJSはROをやる気になった。まず事実は二通りに解釈できる。
1. 二ヶ月前はかわいい絵柄は嫌いだったが、二ヶ月間でその嫌悪感が消えた。
2. かふうの誘い方が悪かったので、かふう以外の人が誘うか自分で見つけた場合には断らなかった。
1.か2.か、気になるところである。どちらにせよこの疑問はいつか解消してみたい。
仮に1.だったとしたら、「人が一度嫌いになったものを、改めて好きになる」方法が分かるかも知れない。とかく、一度嫌われるとなかなか好きになってもらうことは難しいので、この方法が分かるとしたら面白い。2.だとしたら、「かふうの薦め方のどこが悪いのか」が分かるかも知れない。人になにかを薦めるというのは難しいので、これも分かるとしたら面白い。


2002年05月03日 ( 金 )

奇数月の6日に破壊活動をするというウィルス、WORM KLEZが流行している....と思う。5月に入ってから、かふうのところにもガンガン届くようになった。
ウィルスのくせしてやや大きく ( 100KB強 ) 、毎日メガバイト単位でメールボックスを占めていくので、感染しなくても鬱陶しい。
かふうのメールボックスを見た限りでは、以前流行したBADTRANSに比べて届く数は多い。多分、今度の発病日5月6日は大変なことになるだろうと思ったが、幸い日本ではゴールデンウィークの最中なので、被害は少し減るかも知れない。
あっ、かふうは既に一つ被害を受けました。このウィルス、感染すると感染した人のアドレス帳から二人のアドレスを選び出して、一人を差出人に見せかけてもう一人に送るんですね。で、一人の方に、アダルトメールのような題名で、かふうが差出人という形で、このウィルスが送られたんですね。送られた人に本気で誤解されました。

さて、何も書くことがないですねェ。ちょっと忙しくて書いている暇が無いこともありますし、ネタを他で使って仕舞ったというのもありますが、ともかく一ヶ月に一度は書くことにしているので何か書きます。

最近、英語の通信教育というのを受けてみました。その前にTOEICを生まれて初めて受けたんですが、これがなかなか恥ずかしい点数だったんで、なんとかしないとと思ったのです。
初めてのTOEICの結果はX点。まずいと思って通信教育を申し込み、毎月のテストを受ける。その結果はX + 40点から始まって、最終的にX + 190点まで上がりました。これは驚き! 今まで結構自分で英語の勉強はしていたつもりだったのだけど、きちんとした教育プログラムは違うなァ、と思いました。例えて言うなら、幻海師範にであった美しい魔闘家鈴木 ( 強い妖戦士田中でも可 ) の気分でした。
でっ、そのままの勢いで通信教育終了後半月ほどして二度目のTOEICに挑みました。
結果はX + 30点。
多分、通信教育会社のおだてて育てる計画に騙されたんだと思います。


2002年04月06日 ( 土 )

四月一日、合併と同時に発生したみずほ銀行( 旧 第一勧業、富士、日本興業 ) の口座振替システムの障害はいまも完全には復旧していない。
システムを担当した企業の賠償額は相当なものになるだろうし、この問題でみずほ銀行は完全に息の根を止められるかも知れない。

幸いかふうはみずほ系の銀行を利用していなかったので、他人事としてこれを見ているが、この事故は三年前に騒がれたY2K ( 二千年問題 ) を思い出させる。
今回問題の起きた取り引きは250万件とも言われるが、所詮一銀行での問題である。もしY2Kが起きていたら、この騒ぎが社会のあらゆる場所で発生していたかも知れない。そう思うと、本当に二年前は運が良かったと思って仕舞う。

ところで最近は2002年問題というのも騒がれているらしい。
新学習指導要領 ( ゆとりの教育 ) 問題を2002年問題というのだそうだ。こちらも発生すれば大変なことになりそうだが....


2002年03月11日 ( 月 )

顔文字(^^)や、(笑)記号などの記号を使うことは、よいのか悪いのか、各地で話題になっている。

翠巒の間を読めば確認できると思うが、かふうは顔文字や(笑)記号を殆ど使わない。
別に記号嫌いというわけではなく、顔文字はどれがどういう感情を表しているのかよく分からないので、使いこなす自信がないのだ ( 滑らかに顔文字を使う人を密かに羨ましくも思う ) 。また理解していないので、顔文字で感情をあらわすくらいなら文にした方が速い。
また(笑)記号などは、以前は使っていたが最近は使わなくなった。インターネット普及以前は、(笑)記号は会話の記録 ( 例えばTRPGリプレイ ) などで本当にみんなが笑った時に使われる記号だったが、今では、自分の文章のオチにつける記号へと変化した。以前のみんなが笑った時の記号としての(笑)記号は使いやすかったが、オチで強制的に笑わせようという(笑)記号はどうも使い難い。自分の文章で笑わせる自信がないのに、(笑)記号をつけるのは変だし、また多分、かふうが米国風のTVコメディ番組でオチに笑い声が入るのが嫌いなことも理由になっているのかも知れない。(爆)記号などになってくると、本当にいつ使えばいいのか分からない。

結局のところ、いつ使えばいいのか分からないので、かふうは顔文字を使わなくなった。ただ、顔文字が当たり前になってくる中で、自分が使わないでいると顔文字文化とやらが気になってくる。
「新聞に顔文字が登場するのはいつか」
「文字だけの世界で感情を伝えるのは難しいから、顔文字が必要とされている」
「 ! や ? も、もともとは日本語になかった。顔文字も時代ととも受け入れられる」
といった発言が記憶に残った。

これに対してかふうは「携帯電話などでは文字数に制限があるから、顔文字も必要かも知れないが、P.C.で書く場合には文字数は紙よりも余裕がある。紙の手紙の頃から、文字で情報交換してこられたのだから、今更顔文字がないとやっていけないというのは変だ」と思う。
また「 ! 」記号の意見はとても面白かった。確かに、かふうも「 ! 」記号はよく使う。これは紙の頃から慣れている所為か使いやすい。そうすると、顔文字も慣れれば問題ないのかという気になってきた。

ただ、逆も考えられるもので、試しに「 ! 」記号もやめてみたらどうなるかと思った。

「 ! 」記号を使わずに数日間過ごしてみた。伝言板への書き込みや電子メールから一切記号を排除してみる。具体的にはかふうの使う三種類の記号「 ! 」「 ? 」「 .... 」を禁じ手とした。 そうすると、文章を書くのに頭を使わされたような気がする。記号がなくても困ることはないが、いちいち、この文は疑問なのか、断定なのか、肯定を求めているのか、否定を求めているのか、自分がなにを考えているのかを考えさせられた。
記号なしで文章を書くことは疲れる。しかし、記号なしの文章は感情を伝えやすいとも感じた。なぜなら、書いている間に、自分がどういう気持ちなのかを強く認識させられ、それを細々と文字にするため、読者に誤解の余地を与えないで済むのだ。
しばしば伝言板での喧嘩の言い訳に「誤解を与えて仕舞った」という理由が登場するが、記号なし文章を誤解の余地を減らす手段としてお薦めしたい。文字数制限がある場合は仕方ないが、P.C.使用者は一度記号なしの世界を試してみて欲しい。

とはいえ、「 ! 」記号まで封印して文章を書くことは、非常に疲れた。
いきなり完全に記号を捨てるのは難しいようなので、徐々に体力をつけていこうと思う。


2002年02月16日 ( 土 )

リップルアイランド ( サン電子 ) がなんとプレイステーションで復活した。
小学生の頃、欲しかったのだけれど買い逃してしまったファミコンソフトだ。店頭から消えた後も中古ゲーム店を探し回り、数年前には一度定価の一割増程度で売られているのを見かけたこともある。その時は財布に手持ちがなく、あわてて家に戻って出直したら、30分ほどの間に売れて仕舞った....
その後、エミュレーターでリップルアイランドをプレイして、本当に感動した。10年待っても感動したゲームだった。
それが、今 ( 2002/02/14 ) になって復活するとは! さて、まずはプレイステーションから買わないとな....

最近、懐かしいゲームソフトが次々と復活している。アニメや小説も同じく復活している。とてもうれしいことだ。
前々から、復活して欲しいものがいっぱいあったけれど、なかなか実現しなかった。それが不景気で、新作を作っても予算をかけないお茶濁し的なものしか作れない時代になったおかげか、復活するのは本当に嬉しい。

かふうはいろんな昔のゲームにこだわっていたりして、『月門の間』では5年も昔のバーチャロンを紹介していたりする。

昔のものにこだわるというのは面白い。小学生のときに国語の教科書で読んだ文章のなかに、こんな趣旨の文章があった。

新しいものは、次第に我々に近づき姿をあらわしてくる。しかし、姿を近づけてくるにも関わらず、周囲があまりに熱中して仕舞うために、冷静な評価をくだせず、かえってその姿を捉えられない。一方、既に過去のものとなって仕舞ったものは、ただ冷静な評価のみをくだせるために、真の姿を捉えることができる。
わたしが過去のものに、より注目するのは、よりものの真の姿をみたいからである。残念ながらわたしには近づきつつあるものの真の姿を見極めるまでの目はない。
たしか、こんな趣旨だったと思うけれど、この考え方は好きだ。うまく表現できないが....
昔のものを調べていると、真の姿、というか、そのものの完璧な記録を作れそうな気がする。周囲の動きに影響されず、ただその昔のものだけに注目できる気がする。新しいものには噂や最新情報といったものがまとわりつき変化が激しいが、昔のものは、かつての噂や最新情報すらその特質の一つとして取り込み、そのものの中に吸収して完成している。
昔のものを評価しまとめることが面白い。そしてそうやって全てを見た上で、まだその昔のものにこだわる人々と、その昔のものを共有する時間が好きだ。

ただ、かふうの視点で見れば復活と見える昔のものも、今の子供たちから見れば新作となる。今まで昔のものと思っていたものも、初めてみる人と共有したとき、また新たな変化を始める。昔のものと思い込みすぎるのもよくない....
そうして一度は時間の止まったものが、再び動き出すとき、その瞬間もまた面白いと感じている。

そんな話をしておいてアイレムのスペランカーなんか紹介してみる。
スペランカーを今も追いつづけているページの一つが、クソゲー処理概論 スペランカー講座である。彼らは昔のものとしてのスペランカーを追いつづけている。また一方でスペランカーを新しいものとしてみる人たちもいる。 ( リンク先はアイレムのページ )


2002年01月26日 ( 金 )

最近、偽札事件が多いが、年の初めから気になっていることが一つ。
浅草寺で、偽札を使って、おみくじやお守りを買った犯人は、「偽造通貨行使」の罪で追いかけられている.... これは分かるのだが、もし犯人がお賽銭に偽札を使ったら、「行使」になるの?
「偽造」の罪はともかく、お賽銭箱にお金以外のものをいれたっていいよね?

山形浩生氏のリンクポリシーに、ちょっと同意。リンクは勝手にやろう。データファイル直リンクとか、フレーム内に表示して、さも自分のページの中身のように見せるのはともかく、リンクならば別に問題ないと思うんだね。
へびちゃんの部屋は虫類でもわかるシリーズなんかが分かりやすいと思うけれど、URLは公開されたものなんだから、紹介すること自体はなんにも悪いことじゃないのだし、引用っていうのもそれが引用である限りいいわけで、無断リンクに怒るっていうのは筋違いじゃないかなァ。

そうでないと検索エンジンって、無断リンクの山....

かふうは、リンク願いの手紙は貰うと嬉しいけれど、まァ、そうでないリンクも多いのでもう気にしていません。18禁サイトにも紹介されているし....ちょっと期待して来た人にはかわいそうだけど....
でも、「あなたのページを紹介したいと思います。何日までに返信がない場合は許可されたものと見做します」って手紙には参るね。勝手にリンクするのはいいけれど、勝手に「同意」したことにするのは、違うでしょ!?

後日追記
2000年4月26日の日記と矛盾していることに気づいた。
思えば、この事件があってから、僕は自分のページにリンクしているページを調べるようになったのだ。そうして調べて二年も経つうちに、だいぶ考え方も変わったようで....
結論「リンクされるのは、もうどうしようもないから勝手にどうぞ。でも無断リンクについて、リンクされた側に責任を押しつけるのはやめてね。勝手に同意したことにしないなら、ご自由にリンクしてください。ただし、上に書いたような、さも自分のページの中身のようにみせるリンクは見つけ次第抗議します」


2002年01月24日 ( 水 )

専用品でなくてもいいようなものは、ありあわせのもので済ます。そんな考えでいたので、年末に携帯電話のストラップが切れたとき、手近にあった紐を携帯電話に結び付けて済ました。
そのまま過ごすこと二週間、意外と専用品というのは考えられて作られているものだと驚かされた。ただの紐を携帯電話用ストラップ程度の長さにして結び付けておいたら....とにかくよく絡まるのである。ただ自身で絡まるだけでなく、キーホルダーにはからまるし、イヤホンにはからまるし、ポケットの中は毎日大変なことになった。
タイミングよく、成人式のお祝いに役所から携帯電話ストラップをもらったので、諦めて専用品をつけることにした。役所のくれたものを、こんなに便利に感じるとは....

単純なものでも、専用品にはよくよく工夫されたものもあるのだなァ。
でも、やっぱり専用品でなくてもよいものは、これからもありあわせで済ますだろう。

ところで携帯電話ストラップというのは、どこかの靴屋が靴紐を別の商品に利用できないかと考えたのが始まりらしい。でっ、どこが始まりなのか調べてみたけれど、簡単には見つからなかった。
折角だから、途中でみつけたStrapYa!.comの記事携帯ストラップ文化論〜日本の伝統を紹介してみる。
うーん。わりと持ち手として便利だから、適当にその辺の紐でいいんだけどと考えるあたり、かふうはこの辺の文化までは理解していないらしい。よけいな大きなかざりがついていると、邪魔だし....


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