計画を立て、確実に実行していく能力は高いに越したことはない。しかし、何がなんでも予定通りでなければならないというのは、おかしくはないだろうか?
たいていの慶應義塾大学の塾生は、慶早戦が近づくと期待する。慶早戦第三試合が行われないかと……。
慶早戦は東京六大学野球の一つであり、早稲田と慶應の試合である。通常、試合は二試合、土日に行われる。しかし、土日のいずれかが雨天などで試合中止になったり、土日の試合結果が一勝一敗になったりすると、月曜日に第三試合が行われる。この時、慶應は月曜日の講義を中止する。
月曜日が休日になるかどうかは、試合の日が来るまで分からない。それだけに、月曜日が休日になるかどうかは、さまざまな混乱を招く。月曜日に予定されていたことはどうなるのか? 講義日程はどう変更されるのか?
一部の塾生は、こういったいいかげんな規則に振り回されることに腹を立てる。確かに予定が立てられないというのは効率が悪い。しかし、大半の塾生はこれをハラハラドキドキしながら待つ余裕も持っている。
災害や事件が子供や学校を襲ったとき、よく耳にする言葉が「一日も早く通常の授業が行えるように」である。
家が潰れても、友達が死んでも、まずは通常に戻さなければならないのだろうか? その学校だけが勉強に遅れたら、文部省から文句が来るのか、親から文句が来るのか? とにかく、あまりにも社会に余裕がないように思える。
1998/08/27の朝日新聞に日本の子供は思いやりがないかも知れないという内容の記事が載っていた。この記事では、東洋大学文学部の中里至正教授らが行った、世界七ヶ国の子供たちの「思いやり意識」調査の結果が述べられている。それによると、調査は、様々な状況でどのような行動をとるかという質問をし、回答は選択肢の中から選ぶというもの。その回答により点数をつけると、日本の子供が一番思いやり意識が低いというのだ。
この記事の中で例として示された質問に気になるものがあった。その部分を引用する。
例えば、「遅刻しそうで急いでいたとき、前を歩いていた人が倒れた。どうするか」という問いでは、「倒れた人が知り合いのとき」と「知らない人のとき」にケースを分ける。「助けてあげる」「だれかを呼ぶ」「何もしない」「なんともいえない」という答えを設定し、回答によって四、三、二、一と点数をつけ、国別の点を集計した。
思ったことは、もし人助けをした子供が遅刻したら、子供は怒られるだろうかということである。先に述べたように「通常」にこだわるような学校ならば、やはり遅刻を責められるように思える。
普段から約束にいいかげんなのは責めるに値するかも知れないが、このような予定外の事象に遭遇した場合、話は別である。もとの約束を上回る重大事を、重大事と判断する能力を親や教師が持ち、さらに子供に教えられない限り、この問題は解決しないと思う。