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万物観察日記 2001年・下

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2001年12月30日 ( 日 )

ふとしたきっかけで、自分が生まれる5年前の自宅の写真を手に入れた。正直、知識として知っていた光景だったが、それを見たときは驚かされた。

その場所にまだ自宅は完成していなかったが、場所は確かに後に自宅が建つ場所である。自宅ができたのは、自分が三歳くらいの頃のはずだから、その写真に自宅が写っていなかったとしても不思議ではないし、その程度は予想できた。その写真には自宅がないことよりももっと驚かされるものが写っていた。
道路は土が剥き出しで、今はない川が流れ、水車が粉をひいている。となりのトトロさながらな風景が、自分のうまれる数年前 ( 1971年、昭和46年 ) にあったとは....
この当時、東京と呼べる範囲は今より遥かに小さく、となりのトトロのような風景はあたりまえだとは知っていた。そのつもりだった。しかしそれでも、自分の生まれてからの時代とは、区切りがあるはずだと思っていた。それが、自宅の写真を見せられ、更に自分の記憶との差は自分の人生より遥かに短いと気づかされると、その区切りはないのだということを痛感させられる。時代は滑らかに、予想以上の速さで変化し得ることを痛感させられる。

この自宅前の道路が舗装されて巨大な建物が建つまでにかかった時間と、Windows95が発売されてIT革命といわれ、そしてIT不況といわれる今日に至るまでの時間とは、大差ない。
僕は、となりのトトロのような時代に人が生きられるはずがないと、どこかで思っていた。それと同じように、インターネットのない時代に人が生きられるはずがないと感じている人もいるのだろう。だが、どちらも誤解なのだ。確かにそれ以前にも人は生きていたし、生きられるのだと感じた。


2001年12月21日 ( 金 )

ふと、ポケットに手を突っ込むと、ポケットの中が暖かい。
一瞬、自分の体温だと思った。きっと座っていたら熱がこもったのだろう。
しかし、すぐにおかしいと気づいた。僕は今、屋外から帰ったばかりなのだ。
もちろんポケットに懐炉など入れてはいない。
では携帯電話か!?
しかし携帯電話は常温だった。第一、充電時の発熱の比ではない。
残るは財布だ。
財布を開けてみる。
でてきたのは、硬貨十数枚、紙幣数枚、領収書など....そして電池!

かふうは携帯mp3プレーヤー用に予備の充電式乾電池を持ち歩いている。
そしてすばやく交換できるようにと、財布の中に入れていた。
それが硬貨に触れ、硬貨がいくつかつながって短絡したのだ。
手に持つのがためらわれるほど熱くなった電池を取りだし冷ましてやる。
幸い液漏れもしていなかったし、紙幣も焦げたりはしていなかった。

しかし小学生の理科程度でわかることを忘れていたと痛感させられる出来事であった。
充電池を後で試したら電力は残っていた。これにも驚かされる。
再充電もできているが、買い換えたほうが良いのだろうか....

財布の中身は普段と変わらないのに、懐が暖かい日であった。


2001年12月06日 ( 木 )

先日、西武新宿駅のホームでベンチに座り、友人と話しこんでいたときのこと。
出発しようとした電車が、一旦扉を閉めかけてから、僕たちに気づき扉を開けた。駅員が、僕たちに合図して、電車の出発時刻を過ぎていることを教えてくれた。電車のことを忘れていた僕たちだったが、無事乗る事ができた。

先日、一年生の実験授業で教えていたときのこと。
一人の学生が言い出した。
「田舎の分校みたいですね」 ( 実験は数人単位で行われる )
なんとなく和やかな実験になった。

また先日、西武新宿線でのこと。
ダイヤの乱れもあって普段よりも長く電車の通過待ちをすることになった。僕の乗っていた電車はホームに止まると、遅れている後続電車を待ち始めた。
満員電車の乗客は、半数がホームに降り、自動販売機に向かったり、ベンチに向かったりして待った。僕もホームに出て電車の車体に寄りかかってみた。
電車が通過した後は、また元通り満員電車に戻ったが、妙に和やかな時間だと思った。


2001年11月19日 ( 月 )

スーパーカミオカンデが壊れた。一万個以上あるセンサーの半分以上が砕け散ったそうだ。事故の瞬間、研究員が地響きを感じ、あわてて調べてみたら壊れていたことが確認されたそうだ。
( 壊れた瞬間を想像したくなる.... )

スーパーカミオカンデはニュートリノという素粒子の研究、測定をしていた。うまくすれば、宇宙は今後も膨張するのか、なぜ物に重さがあるのかなど、さまざまな問題に対する答えが得られるはずだった。
もっとも、分かるといってもゴールにつくわけではない。一昔前の世界観に例えるなら、「この地面は象が支えているが、その下は謎だ」という状態から、「象の下は亀が支えているが、その下は謎だ」という段階に進む程度だろう。
その発見にどの程度の価値があるのか、人によってその評価は分かれるだろう。今回の事故に対する修理費が20億円ときいたときに、「高すぎる、他に税金を使うべきところはいくらでもある」「科学技術に費やすにしても、ひまわりの後継問題や発電用原子炉の修理など、緊急性の高い問題に費やすべきだ」という人もいるだろう。逆に小柴昌俊東大名誉教授のように、まだまだデータ不足だから、これを機会に金をかけて改良するべきという人もいる。

かふうは、正直言って前者の意見に賛成だ。科学基礎研究は大事だが、その全てが米百俵的に役立つとは限らないと思うのだ。

同時に、こんな考えはとても恐ろしい気もする。「科学研究ならばなんでも米百俵的に役立つ」と、皆に思いこんでもらえなくなった時点で、科学バブルがはじけたのではないかと思うのだ。もちろん過去にもそういう時代はあったが、一度バブルを経験した世代が、バブル崩壊を体験しようとしているのである。
科学バブルがはじけ、人間の科学文明は頂点を過ぎる。月まで行こうなんて大掛かりなお遊びを楽しめた1970年代が、科学技術の頂点であり折り返し地点だったのではないか? 現在、月まで人間を送りこむ力は人類にない。かつてできたことが明らかに今できなくなっている。他にも、1970年代の、以前の無理がいろんな形で見え始めているような気がしてならない。

過去のツケを一気に払うのは負担が大きい。徐々に家計を出入額共に抑えて、ゆっくり根気よくツケを払っていくような感覚を、身につけておいて損はないと思う。
特に「世界に自慢できる研究装置だから修理しよう」なんていう見栄は、もう諦めてもらいたい。


2001年11月07日 ( 水 )

1都1道2府24県

最近、バーチャロン・フォース ( 以下VO4 ) というゲームがゲームセンターに登場した。現時点でメーカーのページにて公開されている、公式なVO4の稼働範囲が、1都1道2府24県である。
この稼動範囲は、メーカーが把握している範囲なので、実際にはもう少し広い範囲のゲームセンターがVO4を購入し稼動させていることだろう。しかし、それでも全ての県にこのゲームがあるわけではないことは、間違いない。

VO4というゲームはバーチャロン ( 以下VO ) シリーズの最新作である。VOシリーズには既に5年以上の歴史がある。そのため歴代のVOを遊んできた人々は、インターネットを通じて情報交換を盛んに行ってきた。日本中のVOプレイヤーはインターネットを通じてつながっていた。
しかしVO4ではそれができなくなっている。情報交換はできても、肝心のゲームが地元にないというプレイヤーが大量にいるのだ。まだ稼動し始めたばかりだから仕方ないと思われるかもしれない。しかし、前作バーチャロン・オラトリオ・タングラム・2000年版も、公式には全県に行き渡らないままVO4の発表となった。VO4もそうなりかねない。

かつては全国のゲームセンターにそろえられたゲームが、なぜそろえられないのか? 不景気のせいか、hitmakerの販売戦略に問題があるのか、それも考えなければならない。しかし、それ以上に考えさせられるのは、「情報だけはあるのにモノには触れられない状態が頻発するようになった」ことである。

今日も伝言板に、「この県で入荷したお店はありませんか? 」という書きこみがあふれている。海外からもVO4はどんなゲームかと電子メールがきたりする。
まだプレイできていない人々が、hitmakerを恨んだり、すでにプレイしている人たちを恨んだとしても、文句はいえないだろう。片道千円以上を費やして、県に数少ない稼動店舗に通う人々も、文句を言う権利はあるだろう....

幸運にも僕は交通費もかけずにVO4をプレイできる環境にいる。
そして既にプレイして、感想を伝言板に書きこんだりもしている。


2001年10月20日 ( 土 )

約束の一ヶ月が過ぎて仕舞った....
かふうは言った。「これ以上日記を続けることは、無理かもしれない.... 」

上の文はプロジェクトXの田口トモロヲさんの解説風に読んでください。
最近、僕のまわり ( の一部 ) ではプロジェクトXごっこが流行っています ( 僕が流行らせました ) 。なんでもいいから問題にぶつかったときは、とりあえず田口さんの口調で客観的に解説してみるのです。これによって、自分の身に起きている問題を客観化して冷静に見つめなおすことができるとともに、実は「そんな問題どうでもいいじゃん。勝手にやってろよ」という気になって、心がすっきりします。前者は問題解決に役立ちそうですが、後者はあまり意味がないかも知れません。でも精神的に健康になっているはず....

普段、プロジェクトXを見ながら、「どうしてこの人はそんなことに熱中しているんだろう? 」と半ば呆れた目で見たことありませんか? ( 或いは人の苦労を笑ったり.... ) 自分に興味のない話題のときなど、かふうはそういう気分になります。自分のやってることは、当人や一部の関係者、理解者にはたいへんなことでも、他人には案外どうでもいいことだったりするんですよね。また結構、気づいていないだけで、本当にどうでもいいことだったりするものです。
『他人の心』に気づかせてくれる精神安定化法が、このプロジェクトXごっこです。冷静になれば新しい解決法が出てくるかもしれないので、実用性もある遊びだと自負しています。

でっ、最初に戻る。
とうとう一ヶ月間、日記の更新をしていませんでした。一ヶ月に一度は最低でも日記を書くと、どこかで公言していたはずなんですが....
約束を破って仕舞ったわけですが、それでも、今後も年間12回更新は守るということで頑張ります。


2001年09月13日 ( 木 )

漫画「まるいち的風景」をドラマCD化することは絶対にできないと言われた。なぜそういい切られるのか、最初僕は不思議で仕方なかった。「主人公が喋れないのに、ドラマCDにして何が伝わるのか? 」と、説明されてはじめて理解した。
声しか使えない媒体で、発言していない人がいたしたとしても、その存在を伝えるのは難しい。周囲の人が、かわってその人の存在を伝えてやらなければ、その人の存在は消えて仕舞う。
同様に、文字しか使えない媒体で、発言していない人が存在することを伝えることも難しい。

現実に、一つの部屋に集まり会議をすれば、発言していない人にも存在感はある。沈黙や表情、仕草がさまざまなことを伝えている。
しかしインターネットでは発言しない人間は存在しないも同様だ。そしてインターネット上の発言の大半は、自分が存在することを示すことを目的としている。

今日も、僕は自分の存在を示すため、こんな日記を書いている。


2001年09月12日 ( 水 )

一つの会社が国民の生活リズムを作り出す。なかなかできることではないが、振り返ってみるとNTTにはそれができた。
最近はインターネット常時接続が普及して、テレホーダイを利用する人は少なくなった。しかし、今でもインターネット利用は23時からという文化は残っている気がする。NTTの残した影響は大きい。
別にNTTに責任をとれと思うわけではない。ただつきかどを運営していると、この習慣の名残を意識させられる。インターネットで待ち合わせをしようとすると、自然に23時になって仕舞う。そして23時はインターネットが混雑している....待ち合わせ時間をなんとか分散できたらと思う。

夜中にインターネットを利用していると、とにかく寝不足になる。ICQなどのチャット機能のおかげで、友人がおきていることが分かると、つい長話をして仕舞う。
インターネットを切り上げて早寝をするというのは、なかなか大変な作業だ。いわば、毎日が修学旅行の合宿の夜なのだから、早く寝ようと思うのには勇気がいる。
いつでもチャットできるという状態が、 ( チャットしていなくても ) いつでもチャットしているのと同様の状態を作りだして仕舞った。


2001年09月11日 ( 火 )

九月五日、祖母が財布をなくした。帰宅してから気づいたらしい。既に帰宅してから数十分が経過していたが、財布をさがすため帰り道を探してみることにした。
なんと財布は途中の道路でみつかった。しかも誰かが拾ってくれたらしく、丁寧に塀の上にあげてあった。中身はカードも含めてまったく手がつけられていない。

このところ不景気のせいか、ニュースで殺人という言葉を嫌というほど耳にする。それにも関わらず、東京都でこんな親切な人がいるかと思うと驚かされる。今は分からないが、十年程前は僕の住む町は犯罪率の低さで東京都でも有名な町だった。どうやら祖母の住む隣町にも、まだまだ親切な人はいるようだ。

そういえば、あの町には今も「やくざ」さんが住んでいるらしい。暴力団ではない、誇りある「やくざ」さんである。「やくざ」さんだ「暴力団」だといっても、法律上違いはないのだろうが、誇りある人がいるというのは、よいことではないかと思っている。
もっとも、直接会話したことなんて昔の事だし、「やくざ」さんの実態なんて全然知らないのだけど....

かふうの持ってる「やくざ」さんのイメージなんて、ぼのぼののヒグマの大将やカシラくらいだ。

今回、ひさしぶりに日記らしい日記だ。うーん。こうしてみると、僕の日常って、書くこと少ないのねェ。


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